目次
一 INF条約とは何であったのか
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二 日本への中距離ミサイル配備を狙う米国
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三 日本へ中距離ミサイルが配備されることの含意
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一 INF条約とは何であったのか
1 2019年8月2日、INF条約が失効しました。1987年12月当時の米ソ間で調印され1988年6月に発効して以降、冷戦終結後の世界を象徴する条約でした。トランプ大統領が2019年2月2日に条約からの脱退をロシアへ通告したため、6カ月経過後の8月2日に失効したのです。
米国はさっそく8月19日に地上発射型巡航ミサイルの発射実験を行いました。これに対してロシアは、「(条約失効の)かなり前から準備していたものだ。」と強く批判しました。すでに米ロ間では核軍拡競争が始まっています。米国の実験が想定以上に早かったと認識したプーチン大統領は、8月21日「同様のミサイルの開発を再開する。」と表明しました。ロシアと中国は、米国がアジア太平洋地域へ中距離ミサイルを配備すれば、対抗措置をとると表明しました。
2 INF条約は、一般的には中距離核戦力全廃条約と呼称されています。ただこの呼称はINF条約の意義を必ずしも正確に表していません。この点は東アジアに中距離ミサイルが配備された場合に日本が置かれる立場を考えるうえで重要なポイントでもあります。
正確には「中射程、および短射程ミサイルを廃棄する米国とソ連との間の条約」という名称です(国名は略称)。廃棄対象は、500㌔以上5500㌔までの地上発射型ミサイルとその発射基、支援施設・装置(製造、修理、貯蔵、実験施設を含むもの)です。核・通常弾頭を問いません。空中発射型・海洋発射型巡航ミサイルは対象外です。
また、廃棄するミサイルの核弾頭は廃棄対象ではありません。その意味では条約は核軍縮条約としてみればかなり限定的なものです。廃棄に要する期間は、短射程ミサイルが1年6ヶ月、中射程ミサイルが3年以内と定めました。実際にこの期間内に廃棄されたのです。むろん既存のミサイルの廃棄だけではなく、将来の実験・製造も禁止されました(INF条約につき黒沢満著「核軍縮と国際法」が詳しい)。
ではなぜ核・通常弾頭を問わない条約なのでしょうか。黒沢満氏の著書をでもその点は分かりません。ミサイルの外形上核弾頭なのか通常弾頭なのかは区別がつかないからではないかと考えます(核・非核両用)。発射からわずか7、8分で着弾する中距離弾道ミサイルが敵陣営に配備されれば、標的にされた国は、当然核弾頭ミサイルとして対処せざるを得ないからです。
この条約に基づき米国とソ連とは、相互の査察と検証下で、現実に短・中距離ミサイルとその関連施設・装置を物理的に廃棄(破壊)したのです。核兵器が開発されて以降、特定の分野の核兵器システム(核弾頭を除きますが)が核軍縮条約に基づいて全廃されたことは歴史上初めてのことであり、画期的な出来事でした。
3 INF条約がなぜ当時の米ソ間で調印されたのでしょうか。現在40歳代前半以前の若い方は、その背景をご存じないことかもしれませんので、ここで振り返ってみることは、今後日本と私たちが置かれることになる状況を理解する上でも必要なことと思います。
1975年にソ連は、当時のソ連の同盟国であった東ヨーロッパへ中距離核弾道ミサイルSS20を配備しました。射程5000キロのこのミサイルは、3発の弾頭を搭載し車載発射型(移動式)ミサイルであるため、敵からの報復攻撃に対する脆弱性が低減され、命中精度が高いものでした。標的はNATO同盟のヨーロッパ諸国、とりわけ西ドイツでした。これに対してNATO同盟は、中距離ミサイル制限のための協議をソ連に求めつつ、他方で中距離弾道ミサイル パーシング2と地上発射型核巡航ミサイルを1983年から配備するとの決定をします。軍縮交渉と軍拡を決定するという方向性の異なる二つの決定であることから、これが有名なNATO二重決定と言われるものです。
NATO二重決定により、ヨーロッパを戦場にした限定核戦争の危機が現実のものになろうとしたのです。とりわけ西ドイツは東西冷戦の中で、ソ連軍・ワルシャワ条約機構軍と対峙する最前線に位置する国でしたから、西ドイツ市民の危機感はとても大きかったのです。
米国のパーシング2や核巡航ミサイルは1983年11月から配備されるのですが、1983年の初めから、西ドイツ国内では、毎日、毎週のように大規模な反核行動が繰り広げられました。特に10月は文字通り「反核の炎」が首都ボンと全国を包みました。10月15日から22日の「平和大行動週間」では、西ドイツ100万人以上、イタリア100万人、イギリス50万人、ベルギー50万人、オランダ55万人など、米国の核ミサイルが配備される予定のこれら5か国では大規模な反核行動が起こされました(以上佐藤昌一郎著「世界の反核運動」より引用)。
4 なぜヨーロッパでこの様な大規模な反対運動となったのでしょうか。当時米国(レーガン政権)では、ソ連との核戦争も可能だ、核戦場を限定できるとの論調(限定核戦争論)があり、米ソ間の戦略兵器制限条約(SALT条約)により、米ソ間の戦略核戦力が均衡していたため、米ソの領土を聖域にしてヨーロッパでの限定核戦争が引き起こされるとの恐怖心が高まったからです。当時のヨーロッパの反核運動では「ユーロシマ」が合い言葉になりました。広島が原爆攻撃で大量殺戮を受けたように、ヨーロッパも核のホロコーストを受けることを表す、ヒロシマとヨーロッパを重ねた造語です。
5 当時私はマスコミ報道で、ボン50万人、ローマ50万人、ロンドン数十万人など巨大な反核集会やパレードが行われる映像・写真を見て、感動を覚え勇気づけられたことを今でも思い出します。
ヨーロッパの反核運動のエネルギーは、反核運動の本家である日本へも影響を与えました。当時全国で燎原の火のように広がった「非核自治体宣言」運動です。この運動はハーグ陸戦条約で無防備都市に対する攻撃が禁止されていることにアイデアを得て取り組まれたものでした。
私が住む福山市でも、市民運動の力で、市民の17%に達する請願署名が集められ、市議会で非核自治体宣言を勝ち取りました。この市民運動を推進するため、私は核兵器と核戦略についての多数の学習会講師を務め、そのために核兵器と核戦略に関わる多くの文献を読んで勉強しました。このことがその後の私の反核運動の基盤を作りました。いわば原点のような出来事です。
全国各地を旅行されれば、市町のどこかに「非核自治体宣言の街」の立看板を見ることがあるはずですが、これがこの時の運動の名残です。
6 西ドイツでは現職の裁判官たちも、米国の核ミサイルが配備されるNATO軍の基地を取り囲んで、核ミサイル撤去を求める運動に参加しています。その中で一人の法律家の名前を記憶しておいてほしいと思います。裁判官にも市民的自由を保障すべきと訴えてきた青年法律家協会という法律家団体が作成に協力した映画「日独裁判官物語」に登場するディータ・ダイゼロース氏です。今年(2019年)亡くなった彼は、この運動に参加し、その後結成された国際反核法律家協会の設立に貢献し、西ドイツ支部の支部長を務めました。
二 日本への中距離ミサイル配備を狙う米国
1 新聞報道が紹介する米国のメディア、研究者の見解などから、INF条約が失効したら、早晩米国は東アジアへ中距離ミサイルを配備するであろうと推測していました。ところが私の漠然とした推測をはるかに超える新聞報道に接したのです。この論考をまとめようと考えたきっかけがこの記事でした。
2019年10月3日付琉球新報の1面トップと2、3面に、「沖縄に新中距離弾配備」「米新戦略で大転換」という見出しで掲載された記事です。琉球新報の独自取材に基づいて書かれた記事で、琉球新報のスクープでした。この記事の目新しい点は、一般的な予測ではないことです。2019年8月26日にワシントンで、INF条約失効後のアジアにおける米国の新戦略を協議する会議が開かれ、新型ミサイル(中距離ミサイルの意味)の配備地として、日本、オーストラリア、フィリピン、ベトナムが挙がり、韓国は非核化をめぐり米朝交渉が行われているので当面は除外された、今後2年以内に、沖縄をはじめ北海道を含む日本本土に大量配備する計画があるというものです。
ロシア大統領府関係者からの取材をもとにした記事で、関係者との詳細な応答内容も掲載してありました。この関係者の話では、日本へ配備されればそれが沖縄であっても、北方領土交渉は無しになるとのこと。
ロシア大統領府の関係者からの情報である点で、ロシアによる情報戦ではないかとの専門家の批判もあるようです。私も同じ疑問を持ってこの記事を書いた琉球新報記者に電話でお聞きしました。
それによると、米国とロシアとの間では、双方の国益が絡んだ問題について、互いに水面下で情報のやり取りしており、そのような関係から情報が伝わったのではないかとの説明でした。
私はこの記事の内容の信ぴょう性は高いと考えています。その後の琉球新報10月12日の記事で、ワシントンDCを拠点とするシンクタンク「フォーリン・ポリシー・インフォーカス」の外交問題専門家であるジョン・フェッファー氏のインタビュー記事が掲載されました。彼は米国による中距離ミサイルを沖縄など日本へ配備する計画を把握しているとして、日本へ配備される可能性は「残念ながら非常に高い。」と述べています。その理由として、オーストラリアは配備拒否を表明し、韓国・フィリピンも拒否する可能性が高いこと、日本が拒否してもトランプは圧力を強めるとの見方を示しました。
さらに彼は、日本に配備される中距離ミサイルは巡航ミサイルで、米国は核弾道ではないと説明するであろうが、核・非核両用タイプになる、日本に配備される場所は日本政府との交渉で決まると述べています。
加えて、10月22日の朝日新聞に、「日米、新ミサイル配備協議 米のINF条約離脱を受けて」の見出し記事が掲載されました。米国が新たに配備を検討する中距離ミサイルについて日本政府と協議を始めたことが分かったというもの。エスパー国防長官はアジア太平洋地域に配備する意向を示しており、日本配備の可能性を含めて意見交換したと記事は述べています。米軍幹部を取材し、(10月)18日に米政府高官が来日して防衛省、外務省、国家安全保障局の幹部と会い、今後どうなるのかが議題に上がったとの情報も書かれていました。記事は「日本配備」に言及したかは定かではないとしていますが、日本配備の選択肢を含むものとみてよいでしょう。
2 中距離ミサイルの日本配備については、おそらく日米拡大抑止協議の場において具体化されるであろうと推測しています。「拡大抑止」とは、米国の核・通常戦力による抑止力を同盟国にまで拡大して、同盟国を防衛するというものです。「日米拡大抑止協議」は2010年から始まっています。
オバマ政権下で取り組まれた核軍縮(特に海洋発射核巡航ミサイルを2013年までに退役させるとの決定)に対して、日本政府が強い懸念と反対を表明したことから、米国による拡大抑止の実効性を持たせるため、日本政府の要請を受けて始められたものです。毎年2回、東京と米国内で交互に開かれており、2014年度以降は外務省のHPで、開催場所と主たる出席者までは公表されていますが、何を協議しているかは秘密です。
専門家の中には、中国のミサイルの射程内にある日本へ米国が中距離ミサイルを配備することは考えられないとの批判もあります。しかし、1980年代のヨーロッパでソ連と米国がそれぞれの中距離核ミサイルの射程内に中距離核ミサイルを配備したことを考えれば、この批判は当たっていないと考えます。
3 トランプ大統領がINF脱退通告を行った理由は、表向きはロシアによる条約違反を挙げています。ロシアの地上発射核巡航ミサイルの射程が500キロをわずかに超えているというものです。ロシアは否定しています。しかしこれは口実と思われます。トランプの本当の動機は、INF条約の当事者ではない中国が、着々と中距離弾道・巡航ミサイル戦力を強化しており、この分野の戦力で米国は圧倒的に中国に劣っている,不公平だというものです。そうすると、米国が開発配備する主要な地域はアジア太平洋地域になるはずです。
真っ先に配備対象となる国が日本になることは、これまでの日米の同盟関係から自然な流れです。米国にとって、日本ほど御しやすい国はありません。米国と密約を結びながら、国民には平気で嘘をつく政府だからです。日本政府との間には、1972年の沖縄返還交渉をめぐり交わされた、有事での核兵器再持ち込みの密約をはじめ、核兵器持ち込み密約があります。
米国の中距離ミサイルが持ち込まれる際には、日本政府は通常弾頭であるから心配はないと国民に嘘をついてごまかすでしょう。あるいは、日本の非核三原則を米国は尊重している、同盟は信頼関係で成り立つものだから、米国から事前協議の申し出がない以上(日米安保条約では、装備の大幅な変更の際には事前協議を行うとし、核兵器の持ち込みは装備の大幅な変更に該当するとの合意があるとされています)、核ミサイルの持ち込みではないなどと、事実をごまかすでしょう。米国は同盟国との関係で、核兵器の存在につき「肯定も否定もしない」(NCND)政策を採用していますから、事態を曖昧にしたまま日本政府はごまかしを押し通します。
しかし核弾頭ミサイルか否かは重要な問題ではありますが、それ以上に重要なことは、米国の中距離ミサイルが日本へ配備されれば、中国、ロシアにとっては、核弾頭ミサイルとして対処することになる点がこのことの深刻さです。その逆も同じことが言えます。敵国から発射された中距離ミサイルが着弾し、核弾頭か通常弾頭かを見極めてから反撃していたのでは手遅れになるからです。
三 日本へ中距離ミサイルが配備されることの含意
1 我が国へ米国の中距離ミサイルが配備されることによって、どのような事態になるでしょうか。私たちはこのことの意味を真剣に考えなければなりません。中国に対する抑止力だ、などと牧歌的なことを議論していては、私たちの置かれた状況を見誤ります。抑止力論はまさに思考停止をもたらします。
中距離弾道ミサイルが発射されれば、7,8分で着弾します。発射を探知してから、その情報を分析して本当に我が国を攻撃しているのか、誤った情報ではないのか、核弾頭なのかなど時間をかけて分析するいとまはありません。敵国が中距離弾道ミサイルを発射したことを探知すれば、ただちにわが陣営の中距離核弾道ミサイルを発射しなければ、虎の子のミサイルや軍事基地などが破壊されます。これを核戦略では「警報発射」と呼びます。「ヘアー・トリガー」と称されることもある態勢です。鳥の羽が触れるほどのわずかの力で核兵器の発射の引き金がひかれるほど、核抑止態勢が不安定となっているのです。このことの怖さは、敵ミサイル発射が誤報であったとしても、反撃のためわがミサイルを発射するということになることです。間違った情報が、あるいは間違った判断が取り返しのつかない核のホロコーストをもたらすのです。
2 米ソ冷戦時代、両国は同じように「警報発射」態勢をとっていました。米ソどちらかが先制核攻撃を行った場合、ミサイルの命中精度が高い上、多弾頭ミサイルであるため、固定サイロ内の地上発射大陸間弾道ミサイルはそのままでは確実に破壊されるので、敵ミサイルが到着する前に発射するという態勢でした。空軍基地におかれた戦略爆撃機も、地上にある限り破壊されるため、平時から常時半数が飛行していたほどでした。
しかし、そうなれば米ソ両国はどちらが先制攻撃しても、結局互いに確実に破壊されるでしょう。そのことから相互抑止が働くという核抑止論=相互確証破壊が唱えられたのです。
3 私たちは我が国が実際に核攻撃されるとの具体的なリスクに直面した経験はありません。1962年キューバ危機の際には、世界が核戦争の瀬戸際に立ちましたが、その後の米ソデタント(緊張緩和)と、米ソ間の核戦力の均衡状態と相互確証破壊により、あまり深く考えることはなかったと思います。日本がソ連から核攻撃を受けるとすれば、米ソ間の第三次世界大戦での極東戦線において、米軍の前進基地となる日本に対して核攻撃があることはわかっていましたが、それは想像を超える事態でした。
しかし、INF条約失効後我が国へ米国の中距離ミサイルが配備されれば、それが核弾頭であれ通常弾頭であれ、80年代のヨーロッパ市民が置かれたと同じ状況に立たされるでしょう。北東アジアのどこか(南シナ海や台湾周辺)で起こりうる米国と中国との武力紛争は、常に想定されてきました。安保法制(特に重要影響事態法、外国軍隊の武器等防護)もそのような事態を想定して日米同盟の抑止力を高めるとして制定されました。もし抑止が破れて武力紛争になれば、私たちが住んでいる地域が限定核戦争の戦場となることを想定せざるを得ません。
4 米国の中距離ミサイルを我が国へ配備させることは、私たちの生存を脅かすものとして、絶対に阻止しなければならないことです。そのためには何をしなければならないでしょうか。
日本政府が米国の中距離ミサイル配備を受け入れるのは、米国の核抑止力に日本の防衛と安全を依存しているからです。日本政府の核抑止力依存政策は、私たちが想像している以上に、きわめて根深くて強固なものです。米国が核軍縮をしようとすれば、その最大の障害物として日本政府の抵抗を受けます。日本の防衛と安全を米国の核戦力に依存するという日本政府の核抑止依存政策を転換させることこそ今求められています。
ではそのためにどうすべきなのか。核兵器禁止条約は現在33か国が批准しており、残り17か国が新たに批准すれば条約として発効します。日本政府は、核兵器禁止条約を敵視しています。その理由として主張していることは、核不拡散条約(NPT)と矛盾する、日本政府は核兵器国と非核兵器国の対立を仲介しながら現実的な核軍縮措置を取ろうとしているが、核兵器禁止条約は核兵器国と非核兵器国との対立を深めるだけだ、というものです。しかし日本政府の立場は、結局核兵器国に寄り添い、それが許容する範囲内での核軍縮を提案するというもので、すでに国際社会では見向きされていません。核兵器禁止条約は核不拡散条約と矛楯するものではなく、これを補強するものです。
日本政府の核抑止力依存政策を改めさせるため、国民の多数が賛同している核兵器禁止条約を日本政府が批准することを求める運動を強めること、北東アジア非核地帯を実現するための運動を強めることが今ほど求められている時はありません。
1980年代のヨーロッパでの壮大な反核運動を想い出しながらこの論考を書きました。
(この原稿はNPJ通信にアップされているものを団通信掲載用に若干の修正を加えたものです。)