自著『「核の時代」と戦争を終わらせるために』を語る
大久保賢一
1月22日付で
『「核の時代」と戦争を終わらせるために』 (「学習の友社」) を上梓しました。核兵器禁止条約発効1周年を祝してこの日付にしました。昨年8月6日に出版した
『「核兵器も戦争もない世界」を創る提案』(同社)とは姉妹本です。
共通するテーマ
共通するテーマは、核兵器と戦争をなくしたいし、それは可能だということです。前書のサブタイトルはー「核の時代」を生きるあなたへ―、本書のそれは―「人影の石」を恐れる父から娘への伝言―です。背景にあるのは、私の核兵器に対する恐怖心とそれから解放されたいという希求です。
私は、抗えない力で私や私につながる人たちの命や日常が奪われるのが嫌なのです。それは、誰でも同じだろうと思うのです。その不幸を最も無慈悲にもたらすのが核兵器だということは誰でも知っていることです。
核戦争を望む勢力はない
だから、核兵器国も「核戦争は戦ってならない」としていますし、核不拡散条約(NPT)は「全面核軍縮」を柱の一つにしているのです。岸田文雄首相も「核廃絶はライフワーク」としています。核戦争を容認したり、核兵器を歓迎する勢力は表立っては存在しないのです。
けれども、核兵器は現在も13000発ほど存在するし、米ロは「警戒即発射態勢」を整えているのです。この態勢は、実際にミサイルが発射されていない場合でも警報が発せられればミサイルが発射されるのです。もちろんそのミサイルを呼び戻すことはできません。現に、警報が発せられた事態は何回も起きています。今まで地球が吹き飛ばなかったのは「ラッキーだっただけ」といわれています。
だから、核兵器禁止条約(TPNW)は、核兵器のいかなる使用(事故、誤算、意図的)も「壊滅的人道上の結末」をもたらすので、核兵器を全面的に禁止し、それを廃絶するとしているのです。「核持って絶滅危惧種仲間入り」という状況が継続しているのです。
核兵器禁止条約に反対する勢力
ところで、核兵器国も日本政府もこの条約を敵視しています。その理由は、禁止条約が核兵器の抑止力を否定しているからです。核兵器が自国の独立と平和、そして、国民の命と財産を守っているのに、それを否定することは、国民の安全をないがしろにすることだという論理です。核兵器は国家と国民の安全ためには必要不可欠な道具だとされているのです。これが核抑止論です。こうして、核廃絶は、世界に安全が訪れるまで先送りされるのです。それが「私が生きている間は無理かも」という言い逃れなのです。
核抑止論者との対抗
このように、私たちのたたかいの相手方は、核兵器礼賛論者ではなく、核兵器廃絶は必要だとしながら、核兵器廃絶を限りなく先延ばししている者たちなのです。端的にいえばオバマ元大統領や岸田首相たちなのです。彼らは核廃絶論者のように振舞うし、それを礼賛する勢力もあります。ノーベル平和賞委員会や日本のマスコミなどです。私は、核兵器に依存しながら核兵器廃絶をいう諸君は、核兵器をフリーハンドで使用できると考える勢力、例えばトランプ前大統領よりはましかもしれないと考えることは危険だと思っています。アタリが柔らかい分だけ正体が見えにくいからです。けれども、その危険性を言い立てて、彼らを排除することも避けたいと思っています。核廃絶を言うのであれば、それを実践させようと思うからです。彼らも、自分で言ったことを否定することは避けたいとでしょう。誰でも「嘘つき」にはなりたくないからです。
軍事力容認論者との対抗
ところで、日本国憲法9条の制定過程で原爆も考慮されていました。幣原喜重郎もマッカーサーも被爆の実相を知っていたので、核兵器を戦争で利用することは、文明を滅ぼすことになると認識し、非軍事・非武装の9条を構想したのです。もちろん、そのことを認識しない勢力もあったし、マッカーサーも朝鮮戦争時には原爆使用を進言しましたが、原爆投下が9条の成立に影響を与えたことは間違いないのです。日本の加害や日本人の被害の影響ももちろんありましたが、「核のホロコースト」の影響を無視することは、大事な論点を見失うことになるでしょう。
それが今、政府は核兵器を安全保障の守護神としているのです。岸田首相は米国の核の傘は、北朝鮮、中国、ロシアに対する「護身術」だと表現しています。しかも、9条改悪も同時進行させているのです。
2冊の本の内容
この2冊の本は、核抑止論者と改憲論者との対抗のために書かれています。そのペースにあるのは、私の核兵器と戦争に対する恐怖と嫌悪と反核平和への願望です。その想いを共有する人たち、とりわけ若者たちへのエールも記述しました。
特に重視したのは、核抑止論に対する批判と核兵器と9条の関係です。今、最も求められているのは、人類社会に「終末」をもたらす核兵器の必要性を言い立てる論理に対する批判であり、核兵器廃絶と9条擁護との関連を認識することだと考えているからです。自衛のための武力行使とそのための戦力保持が容認されるのであれば、核兵器廃絶は困難になります。核兵器は「最終兵器」だからです。他方、9条が国際社会の共通規範となれば、核兵器は存在しなくなります。一切の戦力が存在しなくなるからです。核兵器廃絶と戦争の廃絶は、核兵器がなくても戦争はできるので別の問題ですが、密接な連関はあるのです。だから、核抑止論者や改憲論者に対する批判をしています。核兵器の必要性や改憲を恥ずかしげもなく開陳する連中は結構いるのです。そして、それだけではなく、徹底した9条擁護派ではないけれど、反核・平和を実現したいと考えている人たちへの注文を、共感とともに、出しておきました。協力が必要な人たちだからです。
お願い
私は、今、人類は絶滅危惧種にあると考えています。絶滅するとは、現在だけではなく過去も未来も失うことです。この危惧は決して私だけの杞憂ではありません。元々そのような危惧を表明していた賢人はいたし、米国の科学者たちも「終末」まで100秒という警告を発しているからです。彼らは、核兵器を開発したけれどその使用に反対した科学者たちの系譜にある人たちであり、決してオカルト集団ではありません。「核兵器は文明を終わらせかねない人類初の創造物」であることを知っている人たちなのです。彼らは、また「気候変動、生物学的脅威、人工知能……地球を脅かす新たな問題は山ほどあります」とするだけではなく、偽情報の急速な拡散も、人類の存続を脅かす事柄のリストに加えているようです。「人類の滅びの気配を感じ取る」という川柳はこういう状況を反映しているのでしょう。
私は、こういう時代にあって「座して死を待つ」のではなく、「ハチドリの一滴」であろうと「ごまめの歯ぎしり」であろうと、可能な抵抗と提案をしておきたいのです。どうか手にとってご一読ください。(2022年2月6日記)